「此処は、爆心地より北に100m、最長350mの地点にあり、爆心地に最も近い公共の建物であった。‥‥‥中略‥‥‥ 刑務所内にいた職員19名、官舎居住者35名、受刑者及び刑事被告人81名(そのうち中国人32名、朝鮮人13名)計135名全員が即死した」と案内板に書かれてあります。 このほかに、中国人1名が被爆前に死亡しており、他に2、3人の朝鮮人がいたとの推定もあります。 特に処刑場は、長崎の爆心地近くから出土した数少ない原爆の遺構であり、 市民からは「貴重な遺構なのでそのままの状態で保存を」と要望が出されました。 しかし、それは解体撤去され、平和公園の別の場所に埋め戻されました。 そして、かろうじて刑務所の基盤の一部分が復元され、現在展示されています
●証言 「刑務所は完全に焼け、外壁も崩れ落ち、あちこちに何体かの遺体が、 黒焦げに転がっとりました。金沢兄弟の奥さんたちは、うつ伏せになったその真っ黒焦げの
死体の中から主人を探し出しました。兄の方は歯の形で、弟の方はうつ伏せになって腹の方だけ
残ったシャツの柄で分かったとです。本当にもう口では言われん、ひどか有り様でした。確認してから、
遺体を焼いて連れて帰ったとですが、思い出せば、恐ろしゅうて今でも気が遠くなる感じです。」 |