●1944年4月(昭和19年)に山里青年学校と西浦上青年学校が統合して、長崎北青年学校となりました。この学校は西浦上国民学校に付設されていました。校舎は木造平屋建て、教室が4つありました。生徒数は約100人、長屋誠校長ほか、教職員7人でした。

 原爆により、校舎の屋根は吹き飛び、窓はすべて割れ、大破しましたのだが、西浦上国民学校が障壁となったために、倒壊は免れました。

 被爆当日、登校日ではなかったので、生徒は校舎内にはいませんでしたが、教職員の数名がいました。増山サキエさんは校舎内で被爆し、8月10日に死亡しました。校長先生は岩川町で被爆し、8月28日亡くなりました。その他、2、3人の教職員が負傷しました。生徒の犠牲者は、学籍簿や原爆調査資料不明のため、死傷者の有無が把握できません。動員先の工場や自宅などで被爆したと思われますが、不明のままです。