第1回東京フォーラムと市民の集会の提言

○第1回東京フォーラム
 98年5月のインドとパキスタンの核実験は世界に大きな衝撃を与え、核不拡散・廃絶を求める国際世論は一挙に高まった。
 米ロなど核兵器国や日本その他の同盟国も一斉に印パ両国の核実験を非難し、 NPT・CTBT体制の絶対護持を主張したが、米ロの相次ぐ未臨界核実験はむしろこの核管理体制の矛盾を露呈させ、真の安全保障への代案は核兵器廃絶以外にないことが、ますます明白になった。こうして、NPT再検討会議が開かれる2000年に核兵器全面禁止国際協定の実現を求める「核廃絶2000」の国際的市民運動がスタートした。
「新アジェンダ連合」へと結集する中堅国家の動きも、しだいに加速し、「唯一の被爆国の政府」を唱える日本政府もまた、「核不拡散・核軍縮に関する緊急行動会議」を呼びかけ初会合が98年8月30・31日、東京で開かれることになった。主催は広島市立大学の広島平和研究所と外務省の外郭団体である日本国際問題研究所で、明石康・松永信雄の両所長が共同議長を務めることになった。
「緊急行動会議」というこの勇ましい名称は、あとで「東京フォーラム」と改称されるが、オーストラリア政府が組織した「キャンベラ委員会」を意識したものであった。
 第1回の会合には16カ国の専門家が参加し、「NPT体制の維持・強化が不可欠」との認識で一致したが、今後1年かけて具体的提言をまとめることなどが確認された。

○第1回市民の集会
 東京フォーラムに対して、日本の市民団体は行動を起こし、この問題を政府だけに任せないで市民自身も要求を出そうと市民の「緊急行動会議」によって呼びかけられた。こうして、「市民の声:今こそ核兵器廃絶を!緊急行動会議」が結成された。この市民会議は(1)核兵器廃絶へ向けた市民の提言をまとめて、政府呼びかけのこの会議に提出し(2)2000年までに核兵器禁止条約を結ばせようという世界的な「核廃絶2000」運動に呼応することをきめた。
 8月29日、東京で開かれたこの会議には、長崎からは土山秀夫、下平作江、舟越耿一、鎌田定夫の4名が共同代表となった。
 この会議は、開会にさいして小渕首相、高村外相あての提言を採択した。
その第1は、東京フォーラムを市民に公開すること。
第2は、1.核兵器が安全保障に役立つという考え方を捨て、米国の核の傘から脱却する    2.核兵器禁止条約を早期に締結するため、国連などでイニシアティプをとる     3.共同声明を発表した「新アジェンダ連合」への支持を表明すること
その他、あわせて7項目にわたっていた。