第2回東京フォーラムと広島・長崎市民の集会

○第2回東京フォーラム
 
12月18・19日、第2回目の会合が広島国際会議場で開かれ、15カ国17人が参加した。
 閉会後、明石議長は記者会見し、「核兵器廃絶の時期を明らかにするより、いかにして達成するかだ。具体的な方法論に基づき、地に足の着いた勧告を提示したいという点で皆の意見は貫かれた。」「21世紀初頭の段階までに、相当程度の(核削減)スッテプが示されなければ、核不拡散体制は維持できなくなるとの問題意識は多くの参加者が抱いている。」と語った。


核兵器廃絶を求める広島・長崎市民の集会、1998年12月12日、広島市

○第1回広島・長崎市民の集会
 
東京フォーラムの第2回の会合が行われる1週間前の12月12日、広島平和記念資料館で「核兵器廃絶を求める広島・長崎市民の集会」が開かれ、約200人の市民が参加した。
 広島・長崎市民の集会第1部では、長崎と広島の2人の被爆者(下平作江、池田精子)による痛烈な反核証言と、米核戦略の分析・批判(井上正信)および核不拡散・廃絶の道筋(鎌田定夫)についての提案が行われた。
 第2部では、「日本は核廃絶に向かって何をすべきか」をめぐって討論し、その中でも特に「究極的核廃絶」という日本政府の方針や米国の臨界前核実験をめぐり、森野氏へ質問と批判が集中した。また、東京フォーラムについての広島平和研究所の役割と姿勢をめぐって対話がかわされ、「普遍的核の傘」という長崎での明石発言にも意見がのべられた。
 梅林氏は、第53回国連総会での核軍縮決議をめぐる各国政府やNGOの動向を克明に分析しながら、2000年のNPT再検討会議に向けた「アジェンダ連合」、「中堅国家構想」について紹介した。
 最後に、「核不拡散・核軍縮と同時に核廃絶への道筋を!」という11項目の提案を含む東京フォーラムへの要望書を採択し、さらに臨界前核実験を強行した米ロ両国の大統領にあてた抗議文を決議した。
 なお、この広島・長崎市民の集会の詳しい討論記録は『長崎平和研究』第6号に収録されています。